Whole Mind Systemで読む『人類の会話としての哲学』
目的の明確化
一応達成はしたcFQ2f7LRuLYP.icon
他人がやってるのを観察するの面白いので続きに期待nishio.icon
これを行うことで本全体の内容像を頭にいれる(不確定タスク)というねらいもあるcFQ2f7LRuLYP.icon プレビュー
ここ全部抜き出したので時間がかかりすぎたcFQ2f7LRuLYP.icon
フォトリーディング
質問を作る
cFQ2f7LRuLYP.icon質問集
「唯一の真正な声」を求めてはならないのはなぜか
真理・ものごとの本質を求めるのが哲学であるとすると、哲学者それぞれが奉じる「唯一の真正な声」(真理とほぼ同義?cFQ2f7LRuLYP.icon)の候補すべてが融和することなどあったことがない。議論の果てに「唯一の真正な声」を聞くことがめざされるとしても、過去そして現在において響いているのは「雑多で多様な複数の声たち」(p.6)であり、それらが響く場が「会話」である。
「唯一の真正の声」のみが響く場は「会話」は常に掣肘され、ことばづかいを正されうることになる。すなわち「人類の会話」を完結させようとする行為である、とローティは見る。ローティはこうした企てに抗い、「雑多で多様な複数の声たち」を守ることこそが自身にとって哲学の任務である、とする。
分析哲学とはどのような哲学か
歴史の教科書風に言えば「二〇世紀後半の覇権国家であるアメリカ合衆国を中心とした英語圏で営まれた哲学」p.22
具体的にはどのように考えるようなもの?cFQ2f7LRuLYP.icon
静的な知識とは違い、常に改訂に開かれているような、会話において採用するボキャブラリーを変化させていくような営みのこと。(p..96)
ローティ自身の表現
「文化政治」とは、どのような言葉を使うべきかをめぐってなされる議論を典型とする。フランス人はドイツ人を「ポッシュ」と呼ぶことをやめるべきだとか、白人は黒人を「ニグロ」と呼ぶのをやめるべきだとかわれわれが言うとき、われわれは文化政治を実践している。というのも、そうした言語実践を放棄することによって、われわれの社会的・政治的目標―ある人間集団どうしが互いに対して持っている寛容の度合いを増大させること―が、促進されるからである。(Rorty 2007, p.3/三頁)
p.187
ミサックの提示するプラグマティズム史の流れとはどのようなものか
ローティの『哲学と自然の鏡』によるプラグマティズムの称揚が打ち出された、という見方を廃する。 ニュープラグマティズムとネオプラグマティズムの違いはなにか
未回答
ミサックのローティ批判はどのようなものか
それにたいする筆者の意見は?
ルドルフ・カルナップとは何者か
ウィルフリッド・セラーズとローティがどのような関係にあるのか
セラーズ右派と左派はなぜ対立するのか
パースのプラグマティズムの特徴とは何か
主体自然主義と客体自然主義とはどう違うか
一晩置く
ポストビュー(二度目)🍅🍅🍅
ざっくり読んで質問の答を探す
一五分で終わらんぞcFQ2f7LRuLYP.icon
質問が難しすぎている気がする
なにごとも最初から完璧は無理なのでしばらくやってわからないなら「これはまだわからない」とメモするのでもいいと思うnishio.icon
あと、質問に対する回答が本に書かれてないとか、そもそも人類がまだ回答を知らないとかもありえる
自分がまだわからない領域を認識できただけでも大きな進捗、ということですねcFQ2f7LRuLYP.icon
マインドマップ